言語について




第五章.歴史的仮名遣い

 確か、呉智英の本に歴史的仮名遣いの方が現代の仮名遣いより論理的だということが、活用形を根拠に解かれていた。確かに、古い伝統にも論理性があることは確かだか、新しい体系に合理性がないわけではない。
 当用漢字も同様の批判を行う事は可能である。白川静などが指摘しているように、「くさい」という言葉の漢字は、もともとは「鼻」の下に「犬」という文字が書かれて作られた合成語である。合成語の多くは、組み合わせから連想される意味で作成され、その意味が現在にいたるまで変わらないのなら、そのままの方が連想しやすい。あえて教育目的で簡略化するにしても「自」の下に「犬」と何故しなかったのか、と白川静に指摘されてみれば、なるほどこの批判は的を射ている。たかが「、」点ひとつで、そんなに難易度は上がるとは思えない。「鼻」の簡略が「自」と覚えれば、「犬」の方が意味も推論しやすい。しかし「大」に簡略化されては意味も推論しにくいし、この点の簡略化に意義を見出す事は難しい。
 しかし、漢字のすべての簡略化が無駄とか、非合理的とは言えない。歴史的仮名遣いについても同様である。

築島裕(1986)「歴史的仮名遣い」中公新書 810

 上記の本を読むと、歴史的仮名遣いの成立背景が書かれているが、その叙述を通じて、昔の仮名遣いの最古は、藤原定家が作成したと伝えられている和歌の仮名遣いの規則が端緒になる。現実に伝わっている内容がどこまで、後世の人物が書き加えたものか精密に判明しているわけではないが、大雑把に言えば、仮名遣いの規則が、和歌専用から、漢語の読み下し文にまで適用範囲が広がり、中世から江戸にかけては、書き言葉の規則の乱れを契機に、主に、坊主が仮名遣いを研究してきたのが歴史的仮名遣いの背景になっている。
 それに加え、中世から鎌倉にかけて、言葉の音韻の変化があり、語頭のオとヲの区別が曖昧になったり、平声と上声が変化したり、当時の人びとにとって発音しやすさが、仮名遣いの規則に影響を与えたことが知られている。
 当時は言文一致でもないので、その影響はより複雑だろう。

 今日の現代仮名遣いに至る背景にも言文一致運動があるのだから、呉智英のように、「歴史的仮名遣いの方が現代の仮名遣いより論理的」というのは一面的すぎる。書き言葉としての規則のうち、特に活用形については、歴史的仮名遣いの方が単純で覚えやすいという主張なら理解できる。しかし、現代人にとってその活用形がすべて発音しやすいかと言うと決してそんなことはないのである。
 話しやすさという合理性を重んじれば、規則を変更する方が自然である。論理性にも複数の軸がありえるという好例だろう。

Kazari