言語について




第六章.中国における簡体字と繁体字の論争

 番組名は忘却したが、最近、中国の討論番組(たぶんNHKの放送)で、繁体字の復活を訴えた学者と政府側の討論が報道された。日本語の常用漢字の簡略化とも関連性が深いため、見ていたが、いくつか論点を記しておくのも有用ではないかと考え、ここに残しておこうと思う。録画したわけではないので、記憶を頼りに記す。

 繁体字派の一番の主張は、文化的な価値が失われるというものである。これは、繁体字の頃は、国民のほとんどが中国の古典を原文で読むことができたが、簡体字にした事で、一部の研究者しか読めない状態になり、これまでの文学などの資産が大幅に損なわれるという点で、大きな論点のひとつである。その他に、海外との筆談の可能性を失わせた事、簡体字は中国の文化革命時の出来事であり、極めて強力な(繁体字派からみれば間違った)国家主義の賜物である事、これと同様の事例は、韓国のハングル化にも認められることなどを主張していた。これらの論点は、阿保な文学者や経済学者が、日本で「英語のみを公用語化に」などの暴論を主張すると、決まって提出される論点でもある。

 簡体字派の一番の主張は、文化的な価値よりも会話手段の方が重要という点で、これも重要な論点である。また、改正に消極的な理由として、私には奇異に感じられたが、全人代が始めて決めた国語に関する法律に基づいている事が挙げられていた。また、不勉強で知らなかったが、簡体字のすべてではないが、多くは、学者が中国の宋代に行われていた実際の略字を参照して決めた事が正当性の根拠として挙げられていた。

 繁体字派の反論には、学者が決めたというが内容が秘密会議に近い事、すべてが宋代の略字に基づいているわけではない事、異なる象形文字を一字に当てたことで意味の推量が失われた事など指摘していた。特に、後者の事例は、日本の常用漢字で、「臭」などと同等の内容を含んでおり、興味深いものがあった。

 簡体字派が会話手段として中国語として、音韻を重視したとの主張を行っていたが、簡体字の正当化としては、かなり異様な気がした。音韻を重視するのなら、そもそも、日本語の「かな」や英語、ハングルなどのように、表音文字を考える方が自然だからである。象形文字を保持しながら簡易にする理由として、音韻重視は理屈として通らない気がする。

 少なくとも簡体字派の音韻重視よりは、よく教育界で言われている漢字教育の難しさや、その習得時間を別の教育科目に振り当てないと時間が足りなくなるなどの、教育現場や実学から来る現実的要請の方がまだ説得力があるような気がする。日本の当用漢字がそのような圧力から生まれているからかもしれないが、・・・。実際にこれらの事が本当に言えるのか研究した上で、主張されているわけではないので、日本の常用漢字の正当化も本当か疑問が残る。

 簡体字派が会話手段として何らかの簡易化が必要だったという事をもっと別の観点から主張した方が筋が通る気がするが、どう考えるべきか、今後の考察課題としたい。

 一般に教育水準に差がついて得をするのは富裕層である。戦後、日本では、日教組やその他の利益団体、政治家の思惑が交差して、繰り返し授業時間の短時間化などが行われ、その結果、教育力の低下に貢献した。自(愚?)民党の政策を反映して、学力調査の結果からも、先進国の中で、日本の学力は相対的に落ちてしまった。

 教育学的にも、経済学的にも、国民に遍く教育が普及し、それが高等になることはよい事のはずである。しかし、現実世界ではそれが簡単に実現しない。国レベルだと難しいと言われるが、シンガポールのような都市国家では可能なのだから、出来ない事ではない。

 日本では、かつてテレビなどのマスメディアが、「受験戦争」などと馬鹿げたレッテルを貼り、子供が可哀想などキャンペーンを行って、教育内容の簡単化(教育水準を落とす)は良いことのように、盛んに情報操作した時期がある。この点について、マスメディアの反省番組は見た事がないのも気にかかる。子供が就業した時に、獲得賃金で最低の生活が保障されない方がよっぽど可哀想であるが、当時の報道にこのような視点はまったくと言って良いほど見られなかった。最近は、馬鹿みたいに、教育がない人でも商業で成り上がったというかなり確率の乏しい成功物語を報道する傾向にある。これも一種の情報操作である。分業により職業分化・専門性が高まっている事を背景にしているのは分かるが、無節操に幼児からの専門教育を煽る報道も目に付く。その分野で失敗した場合の子供の人生を親がどのように修復できると、報道番組が考えているのかも明らかにしてほしいものだ。

 経済学的に、国民に高等教育が進めば、多くの市場で競争が活発になる。これは現在の富裕層と同じ程度の教育なら、富裕層の子息の賃金が下がることを意味するため、富裕層の反発を招きやすい。また、特定分野の参入障壁になれば、その分野の賃金は下がりにくいため、得をすることになる。別に古典文学研究者になりたい人は多くないだろうが、文化的な価値が損なわれた派生効果として、中国の教育水準が下がるのなら、簡体字化は失敗という評価をすることは可能だと思う。今は別の経済的誘因が強すぎて、教育水準は上がるだろうから、実際に簡体字化の効果を計測する方法はないかもしれない。

Kazari