第4章.用語を正確に覚える
前章でも書きましたが、用語を正確に覚えることは、より高次の内容を学習する際に欠かせなくなります。入門書水準の教科書には、学問自体に興味を抱いて貰うために、やや大雑把に説明したりすることはあり、伊藤元重「入門経済学」くらい出来の良い教科書でも、著者本人がその事を認めています。そのため、大学の最初の講義で、この程度の教科書を理解したからといって経済学が理解できたなどと傲慢にならないよう警告しているぐらいです。
「サルでも分かる〜」類の教科書は、経済学をよく理解できていない方が書いていることが多く、こうした書物を通じて理解したと勘違いしてしまうと、あとあと大変になります。より専門的に学ぶ時に、最初に学んだ事の間違いを理解しないと、より詳細な理解ができなくなってしまうためです。
また、間違った理解を得意げに披瀝する方を散見しますが、そんな事をしても専門知識を持っている人にはまったく通用しませんし、そうした件を契機に経済関連の意見を聞く価値はない人と判断され、以後まったく意見を聞いてもらえなくなって、結局、本人が損をすることになります。
当たり前のことですが、GDPを生産量と理解した人が、入門書でGDPは付加価値であることを学んだ読者を想定して書かれている中級水準の教科書を読んでも、理解するのが困難になります。
くどくなりましたが、とても重要な事柄です。しかし、入門水準の教科書で、専門水準の理解の妨げにならないよう、定義を厳密にしながら説明を行うことは困難です。そのため、説明や比喩が巧みか否かが、良い教科書か否かの分かれ目になります。定評がない教科書を自分が分かり易いという判断だけで選択すると危険な理由は御分かりいただけたことでしょう。経済学に興味を持つだけの目的なら、どんな本でもいいかもしれませんが、真面目に学習していく意志がある場合は、標準的な教科書から選択するのが無難です。
前置きが長くなりましたが、本章の本題に入りましょう。例えば、経済学では「市場」や「競争」などという言葉を使いますが、これらの言葉が使われる時、当然ながら経済現象に限った範囲の事柄しか想定していません。したがって、競争といっても、水泳などの競い合いは経済学の考察対象外ですから、水泳での競争と、経済学で使う「競争」の含意は異なります。こうした事を正確に理解できないと、生存競争も同じ競争という言葉を使っているから、経済分析できるかのような錯覚に陥ります。
ミクロ経済学の部分均衡分析では、市場と言う場合、特定の財やサービスなど同質のものとして処理できる場合にしか使いません。性質の異なる2つの財やサービスを1つの市場として分析する事はありません。入門水準のミクロ経済学の教科書では、家計の行動(需要曲線)、企業の行動(供給曲線)、部分均衡分析の完全競争市場と進む事がほとんどで、部分均衡分析から一般均衡分析に進みます。歴史的には、ワルラスの一般均衡分析が先(『純粋経済学要論』上巻1874年,下巻1877年)で、マーシャルの部分均衡分析の方が後(『経済学原理』1890年)になります。
最初に経済システムの理想型として一般均衡分析が生まれました。一般均衡分析は時空にひろがる経済現象を扱っていますが、部分均衡分析は、これを切り取る形で行いますので、「他の条件は一定」として空間の一部を扱い、時間に関しても「短期」「長期」しか扱いません。つまり、それだけ特殊であり簡単なため、学ぶ順序が変わったという訳です。しかし、この事を丁寧に書けば、入門書の水準を超えてしまいます。
また、入門水準のミクロ経済学の重要な概念に「完全競争市場」があります。完全競争市場においては、「価格」というたった1つの情報の中に、製品のすべての性質が反映されていると考えられています。
既にお気づきになったかも知れませんが、一般用語で使う「市(いち)」や「市場(いちば)」などと、経済理論で使う「市場(しじょう)」では厳密性や含意にかなりの差があります。それから、専門的な学習を進める事は、理論と現実の乖離をより厳密に理解していくことでもあります。当面、完全競争市場が基本形として正しいと習った後で、その一部を崩した不完全競争、市場の失敗、不確実性、情報といったことを学びます。中級、上級と進むにつれて、完全競争市場の成立条件をより厳密な形で知る事になります。