経済学入門




第5章.理論モデルを理解する

 経済学の理論モデルには、背景に様々な仮定があります。入門水準では、数学を使う場合、単純化した理論モデルしか扱いません。一般化した場合にも通用する理論モデルを説明する時には、前提としている世界観を言葉で曖昧に説明するに留めています。
 入門書に、数学的に厳密な条件を書いてしまうと、学習意欲がなくなる恐れが大きくなるため、学習内容がより専門の水準になるまでは扱わないという意味もあります。しかし、入門水準の時期には、経済学特有の理論の仕組みを理解することの方がより重要なので、あえて書かないのです。
 理系の方は数学的なモデル自体を追うのは簡単なようですが、理論モデルのもつ経済学の含意は掴みにくいようです。特にマクロ経済学は、数学的な厳密性がミクロ経済学より曖昧なため、難しいという感想を聞きます。

 また、数学の決まり事に慣れた方は、経済学の図の描き方に違和感が抱くそうです。経済学において、需要曲線などは、縦軸に価格(p)、横軸に数量(q)を取るのが慣例になっています。数学の関数の図の描き方である「被説明変数(y)が縦軸、説明変数(x)が横軸」という慣例と逆になります。
 経済学における数学の影響は後発のものですし、数学の発展過程と経済学の発展過程は異なるのだから、相違が生じても何ら不思議はないのですが、数学教育の慣例が身についていると、そのように感じてしまうようです。経済学の教科書に一言あってもいいかも知れませんが、単なる数学上の慣例なのだから、柔軟に考える能力を身に付けないと大学水準の学問を習得するのが難しくなるのではと心配になります。細かい差異に気付くのはよいことなのですが、・・・。
 文系の方にとっては、価格が上・下する方が文章表現と親和性が高いため、この方が理解しやすいと思います。

 入門書のマクロ経済学では、ケインズ経済学が中心になりますが、ケインズの考えはそれまでの古典派、新古典派の経済学とは一線を画しており、「ケインズ革命」と称される事もあります。その思想の基本的な考えのひとつに、「マクロにはマクロの行動様式がある」というものがあります。
 古典派・新古典派の立場からすれば、「ミクロの集積がマクロ」なので、その考えからは一般均衡分析が出てきます。
 ケインズ自体は、数式よりもアイデアを多く出しました。それは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1935-6年)にまとめられています。ケインズの貢献は、その簡明な説明にも見られ、短い論文で一物一価の法則も巧みに説明しています。また世界大恐慌の時期に古典派経済学者が失業者を自発的失業と考えたのに猛反発し、経済が不完全雇用の状態にあることを主張し、貧民救済の必要性、財政政策の必要性を訴えました。有効需要の概念を創出して、不況から脱出した市場均衡に復活させ完全雇用に近づけるためには、有効需要の増大(財政支出)が必要なことを論述し、フランクリン・ルーズベルト米大統領によるニューディール政策の大きな理論的支えとなりました。
 現在でも当時の政策は有効とするものがほとんどですが、シューペンターは例外で、かの世界大不況時にも、民間に任せておけば創造的破壊が生じ、万事、革命的起業家によって経済は回復すると唱える変人でした。これは一種のスーパーマン待望論で、とても無責任な話です。ちょっとした景気循環による不況程度ならともかく、もし世界大不況時や金融危機にそのようなことをすれば多くの人が死んでしまいます。
 最近、この無謀な主張を支持したのが、小泉改悪を率先した竹中平蔵です。所得格差が拡大し、その結果、消費主導の内需成長が難しい社会になりました。低所得者ほど消費性向が高く、高所得者ほど貯蓄性向が高いのは、どの社会にも見られるかなり堅牢な経験則です。そして、銀行が破綻する金融危機の時期に、低所得者の実質賃金を押し下げ、高所得者に富を分配しました。日本の高所得者はリスク回避傾向が強く、資産を銀行中心に運用するのだから、潜在成長率も下がりますし、経済が縮小均衡に向かいます。銀行がリスクを取りにくい不景気の状況で、高い利子率で銀行から融資を受ける革命的起業家を期待するのが土台無理な話なのです。このように現在の経済状況で、銀行や企業家の行動から、所得分配の悪化による民間の貯蓄投資ギャップが縮小する余地はなく、景気回復の余地が乏しくなってしまいました。

 話をケインズに戻しましょう。ケインズは比喩がとても上手でした。美人投票の事例は特に秀逸です。消費関数や「合成の誤謬」も、「マクロにはマクロの行動様式がある」という考えから生まれたものです。

 ケインズの経済学を継承した人びとは、ケインズの理論を数学モデルとして記述しました。一番有名なのが、HicksのIS-LM分析ですが、近年になって期待に関する数学的な記述を行う際に、ケインズの期待に関する考えが再評価されました。また、ケインズの死後も多くの論争が行われていますが、ケンブリッジ資本論争も有名なので、マクロ経済学の方で取り上げる予定にしています。

 理論モデルを理解するにあたって重要なのは、仮定を理解する事です。経済学では、仮定自体が非現実的で、実証不能でもさほど問題ないと考えます。仮定が現実と近似的であり、かつ理論から得られる内容が豊富であれば、理論は簡単なほど良いということです。これは理論を作成する際の常識なのですが、理論を理解できない人ほど仮定自体を批判することに執心する傾向があります。
 例えば、物理の分野で、現実には空気中で物体の運動を計測すれば、そこに摩擦は存在しますが、一番単純な理論は摩擦ゼロと仮定しています。現実とは違う仮定を置いても、そのことにより理論が簡明になり、そこから得られる内容が豊富なら応用範囲が広くてよいと考えるからです。実験で理論の検証を行う場合は、摩擦の影響が少ない状況を作り出して実験すればいいことになります。また、摩擦係数など考慮すれば、より現実的な理論モデルも構築できるでしょう。

 理論は簡単なほど良いといっても、現実に対する説明力がある限りにおいて、できるだけ簡明にということであって、一番単純が良いという訳では決してありません。
 現実には、理論と現実妥当性のバランスがとても重要なのですが、そのことを理解していない人も多いのが現状です。特に簡単な理論を理解したての人や簡単な理論しか理解できない人は、複雑な理論を理解できないあまり、現実を捻じ曲げてでも単純な理論を信仰する傾向にあります。これについては一例を上述した通りです。現実に対する説明ができない簡単な理論に、無理矢理、現実の経済を近づける政策を行えば、その軋轢は社会的弱者に向かいます。

Kazari