第7章.価値判断の具体例と最近のテキスト
もう少し、価値判断について書いておこうと思います。経済学では専門用語が設定された段階で価値判断を含んでいることもあります。昔は、近代経済学とマルクス経済学と二つを学ぶ機会が提供されていたので、その事を意識することは容易でした。現在の経済学の教育では一方的に、マルクス経済学が脱落し、またケインズ経済学の形骸化が激しいために、分かりにくくなっている側面もあります。昔のテキストは数学も丹念に途中式を含めて数学的証明が可能な水準で書いてある書物も多かったのですが、近年になるほど端折って書いているため、分かりにくくなります。そのため、理論背景にある数式モデルを正しく理解するためには、英書に頼らないといけないなど、情けない輸入学問状態が続いています。
英語で書かれるテキストは、購買層も厚く、海外の著者は教育に対して勤勉かつ精力的で毎年のように更新しますが、日本の学者が怠慢で、毎年のように更新する経済学のテキストは皆無ですし、訳出すら同じペースでできていないことが背景にあります。Krugman & Obstfeld の国際経済学も、英語では第9版が刊行されており、日本語では最初に訳した人はすでに訳者に含まれておらず、第8版が訳出されているだけです。日本語で公務員テスト向けに使われる中谷巌のマクロ経済学の初版が1981年に出て、2000年に4版、2007年に第5版となったのが一番多い部類です。30年間で5回。一方、さらにマイナーな分野の Krugman & Obstfeld の国際経済学ですら、1998年に初版を出してから、2011年に9版と、わずか13年間に9回も版を重ねて(内容を大幅に修正して)います。
脱線しすぎました。マルクス経済学と近代経済学の用語の違いを見てみましょう。例えば、資本の所有による利子を、近代経済学では、節欲または耐忍の報酬といい、マルクス経済学では不払い労働と呼びます。利潤については、近代経済学が企業の報酬と言うのに対して、マルクス経済学は剰余価値と呼びます。J.Robinsonは、こうした違いが対話を不可能にすると「資本理論とケインズ経済学」の中で書いていますが、両者のこうした言葉の定義自体に価値観が反映されています。
近年はマクロ経済学が特に政策問題になることを反映してか、多くのノーベル経済学者や政府要職に就いた経済学者がテキストを書いています。Krugman、Stiglitz、Bernanke、Romer と日本語に訳出されているテキストも少なくありません。