経済学入門




第1章.テキスト選び

 第一と第二の点を考慮して、経済学のテキストを選択する際に、何が重要な鍵となるか、検討しましょう。

 問題なのは、意識的にせよそうでないにせよ、著者の価値観が偏っている場合です。中谷巌(2002)「痛快!経済学」集英社文庫などは偏ってます。そのため、こうした書物はどんなに易しい内容であっても初級者向けではありません。同じ著者の「マクロ経済学」の方はそれほど問題ありません。中谷巌「マクロ経済学」に関しては、第一版が一番まともで、第二版が辞書、第三版は辞書としても使いにくいといった観があります。

 他にも経済学の知識が根本的に怪しい人の書いた本は避けたほうが良いでしょう。

細野真宏(1999)「経済のニュースが面白いほどわかる本」中経出版

 例えば上記のような本などです。説明に難のある箇所が結構あります。村上龍に至っては何の根拠であのような主張ができるのか見当もつきません。言論の自由があるとはいえ、・・・。また、猪瀬直樹氏などが「民営化すると透明なプロセスになるからいい」などと言う場合は全く当てになりません。「西武って民間企業ですけど」と思わず、突っ込みたくなります。猪瀬氏は、無節操に西武のワンマン振りを批判しておりましたが、論理的には支離滅裂の感が否めません。

 簡便な方法は、正確に理論の説明を行っている本を選び、むやみやたらに筆者が価値判断を下している本は避ける事です。良いテキストは利点と欠点を併記していると思います。後はグラフや数式の有無など好みで選べばよいと思います。

 本来、テキストで説明した方が良いものでも、分量などの関係で割愛されてしまうものもあります。近代経済学の祖はアダム・スミスで、彼は、人々が自己本位に振舞っても、(市場の)見えざる手(古典派によれば価格メカニズム)によって調整されるので、経済全体の効率性が保てると主張したと(古典派経済学者によって)言われています。贅沢を言えば、当時のアダム・スミスが大英帝国の植民地政策の見直しを訴えた「国富論」に書かれている欧州の経済情勢や、その当時主張されていた重商主義や重農主義についての解説、哲学書として書かれた「道徳感情論」についても簡単な解説がある方が、アダム・スミスの意図を適切に理解できます。残念ながら、そこまで丁寧な”経済学”のテキストは見たことがありません(武隈「ミクロ経済学」新世社は原書を読んだとは思えない解説であるため、役立ちません。詳細はその事に触れた書評の頁を参照して下さい)。こうした内容は、アダム・スミスの原典を直接読むしかありません。

 利点と欠点の例をひとつ書いておきましょう。市場の優位性を言うのは容易いですが、必ずしも全ての分野で巧くいくわけではありません。例えば、公共事業を民間資本の活力を用いて行おうとする民活化は、多くの発展途上国で実施されました。市場を利用することでより経済効率性を保てる、政府の債務が減る、政府の非効率な運営を避けられるといったプラス面が強調されました。しかし、背景には、発展途上国がこれまでのような国際支援を先進国から期待できない事や、公共事業への参入を望む先進国企業の圧力がありました。特に後者は新しい装いの帝国主義といえなくもありません。その結果どうなったでしょうか、残念ながら発展途上国での民活化の成功事例はほとんどなく、汚職や政治家のサイドビジネスに使われる事例が後を絶ちません。

 経済学入門で適当なテキストは思い当たるものはありません。しかし、ひとつも挙げないのは不親切なので、新書とハードカバーから各1冊列挙しておきます。実際には数式の有無など好みがあるでしょうから、手にとってみた方がいいでしょう。

篠原三代平「経済学入門」日経文庫(上・下巻)
福岡正夫「ゼミナール経済学入門」日本経済新聞社

 外国の訳本なら、Stiglitz(スティグリッツ)あたりが良いかと思います。経済学に限らず、応用の利く良い教科書の調査方法としては、その分野で有名な大学、有名な教授が行っている講義のシラバスを見る事です。最近は、internetで公開されていることが多く、講義が巧みな方は、事前に読んでおいた方がよい論文まで、重要度の違いまで明記の上、公開しているなんてこともあります。

 このサイトでは、網羅的な説明はしません。市販のテキストにはきちんと書かれていない事を中心に書いていこうと思います。網羅的説明は市販のテキストに譲ります。最近は中古の経済学関係の書籍は叩き売りされている事が多いため、最寄の古書店で適当なテキストを安価に入手できると思います。

 自分に合ったテキストを見つけたら、最初のうちは批判的な検討はせず、素直に読むことを一度はした方がいいように思います。

 正しく経済学を理解したいのなら、既述したような悪本で分かったつもりになると、まともなテキストに進んだ時、理解の妨げになる障壁により多く遭遇する結果になり、かえって遠回りになります。分かりやすさという単純化は欠点をともなうものなのです。ここで一度、素直に読むことをした方がよいのは、あくまで、まともな教科書に取り組んだ場合の話です。一度、そうした読み方をすれば、次回以降は逆に批判的に読書する方が良いでしょう。

 専門家を目指すのなら、最新の人気のある教科書を調査する際に、Journal of Economic Literatureにときどき掲載されるテキストなど参考にしましょう。また、経済学の全範囲を網羅したシリーズ物に眼を通しておきましょう。

 残念ながら日本語では、現在のトピックまで含む範囲でいうと、適当なシリーズがありません。日本の経済学者は怠慢なため、日本語ではサーベイ論文の水準ですらシリーズものが存在しません。英語では、最新の内容を含む経済学のサーベイ論文は、handbookの名称でシリーズ化されています。

 日本語では創文社や岩波書店のモダンエコノミックスシリーズにしても、東洋経済新報社のプログレッシブ経済学シリーズも刊行予定のまま、未刊行の巻が存在しますし、新世社の本は重複も多いわりに、抜けている分野もあります。有斐閣のシリーズは斬新ですが、やはり網羅的とはいきません。したがって、かなり古くなりますが、岩波書店の1970年代の現代経済学全10巻程度しか存在しないのではないかと思います。このシリーズの価格理論3巻(ミクロ経済学に相当)は有名でよく書けています。

 古い本には現在書かれなくなった数学の詳しい説明も記載されています。誰からも勧められたことはないですが、古本屋で見つけた下記の本は名著だと思います。

村田安雄(1970)「経済の数量分析」創文社
Kazari